昭和40年11月15日 朝の御理解



 昨日、朝のご祈念を一きり付いた時分でした。久留米の佐田さんが、日曜で今あの日田の方から引き揚げられてから、本店であります、あの佐田与という食料品店の問屋があります。あっちがご兄弟、お父さんの兄弟のうちです。あちらを勤めておられます。で日曜でございましたから、昨日はお礼参拝をされたわけでございますが、中野さんの姉、姉婿になるわけですね。
 先生昨夜はもう家族の者、家族の者というても、お母さんと奥さんと三人で、朝の一時半頃まで信心話を、もうこのまま語り明かそうかと言う位に、それこそ秋の夜長をしみじみと信心話しで過ごさせて頂いて、もう先生私ぐらいなもんですけれども、ここでこうやっておかげを頂く様になり、時々でも御理解を頂いておりますが、いつこう言う様な事が身に付いておっただろうかと思うくらい、もうお話しがもう限りなく出る。
 そしてそのお話をさせて頂きながら、もう有り難いの有り難いのちゅうて、もうお話をさせて頂きながら、有り難い、あれは先生どう言う様なもんでしょうかちゅうてから聞く。話さられるんですね。皆さんそういう体験はないでしょうか。信心話ししみじみと、ほんとに椛目にご縁を頂いておるということが有り難い。ほんとにあん時は、ああいうおかげも頂いた、こん時には、こげんだふうな信心でおかげを頂いた。
 あん時にはおかげを落としそうになるところを、ああしておかげを頂き、落とさんで済んだとかいうような、ま、いわば体験、または、その心に入っておるところの御教えというものを話しておったら有難うなっとる。それもお母さんがここ最近非常にその、皆さんもご承知かもしれませんけれども、非常にこのなんて言うですかね、神経の細かい方ていうでしょうかね。
 ま言うなら、だから行き届いた方と言う事になりますかもしれません。それが他には不平不満はないけれども、ご主人でありますところの、お父さんに対して、もとにかく、も不足が多くて多くてもう、そのために狂い出そうごとそのあるち。まそのお爺さんですねご主人、そんためにその持病である様々な病気が出てまいりましてから、もう体も悪くなる、も毎日毎日が地獄のようなその、それを横から見ておってから。
 まあ、お母さんじゃろか、ほんとにまちっとその、と。そげん時には椛目でもお参りさせて頂いて、おかげ頂なさりゃええのに、とこう思うけれども、もうイライラモヤモヤしておるばっかり、イライラもやもやしとれば、病気の方があれやらこれやらその色々持っておられるとが、も起きて来る訳です。とうとうニ、三日前には、その手っ取り早いというでしょうかね。
 どこどこさんにお参りをすると、その原因がすぐ分かる。色んな事をぽくぽく当てらっしゃると言った様な所が、そのあると聞かせてもろうてから、まそれでもやっぱ相当遠いところでしょう、汽車に乗って、そしてまたそこをお寺さんだそうです。ま随分歩いて行かなければならないという所へその一人で、もう家を黙って、ぽっと出て行かっしゃる。そしてその晩遅うに帰って来てから。
 もうその、その前の日に、ここでお姉さんが参って参りましたが、その佐田さんの奥さんですもう、昨日あなたもう、家のおばあちゃんが、黙って出て行きなさってから、もうどこ行きなるじゃろうかと心配しよった。そしたらその晩遅う帰って見えてから、もうほんとに、恵美子さん、私は椛目の信心の有り難さがしみじみ分かった、ちちから帰って見えたそうです。
 それこそそこへ、お寺さんにやらせて頂いたら、やっぱりあのお篭りをしておる人達がござる、そこの坊さんやら、奥さんやらちゅうごた人が、ござったけれども、もうその信心がもう全然椛目と違う、もう雰囲気が違うもう今晩ここで、あかさんなんならどうしょうかと思いよるところへ、一人の青年の方が、なんか用事でですね、町から単車でやって見えられた。
 乗り物もないそうです。そのお寺さんのところまで、それでもうその青年の方に泣く様に言うて頼んだんですね、私を駅まで乗せて行って下さいちゅてからその、もうその寒いのにですね、単車の後ろに乗せて、初めて単車に乗ったち、こうしがみついてから、こげなえすか思いしたことなかったち。もうほんとに椛目の信心の有り難さが分かった、ちゆうてその、お母さん帰って見えたんですよ、ちゅうてその前の日に来て、恵美子さん話しよりましたです。
 してそんな風でしたから、ほんとにお母さんに信心を、の、そのま神様のご都合でしょうね、そういうような雰囲気を与えてくださって、それこそ、佐田さんじゃないで、昨日のお話ではないですけれども、お話しをしながらもう有難うして有難うして、もう、お話しをしておる自分が有り難い。ですからもう家内も有り難いなら、お母さんも尚有り難い、あくる日はもう体がもうその昨日の体じゃなかごと。
 今朝からおかげ頂いとります、ち。これも昨日、やっぱりその前後してから、夫婦でお参りしてきた方がある。奥さんがもうはっきり癌の、本人には言うてございませんけども、もう癌だとこう言う事にはっきり決まったわけす。ほいでその癌の治療にもずっと、この頃からもう何ヶ月、九医大の方へ行きよんなさいます。さあそれでそのもう、周囲の者はもうほんとに家内の顔を見ちゃ、もうこれが何ヶ月しかもてん命ち思うたら、もう自分が知らんもんですから、もうもぞらしいして応えん、主人としては。
 親戚の者もそう、里の母だん、もうその家内のその姿を見てからは、もぅほんとに、これがこれだけの子供を残して死んでいくじゃろうかと思うたら、もうほんとにじゅつのうしてこたえん、というてそのもう嘆かれる。本人は知らん。ね、それでこの癌の症状が、なんか治療にちょっと通うておりましたが、この頃から丁度十日あまり休んでそして、そしてまた行かなければならないから。
 この明日行かんならんから、どげんさして頂こうかと言うて、お伺いに来ましたから、そうね本人が行くて言うならばってん、行かんちゅうならもうそのままおかげ頂きなさい、もうおかげ頂いていきよるよと言うてから、話させて頂いた事でしたがです、ね、昨日も夫婦で参ってまいりましてね、この頃こちらで御理解を頂いてまいりますと、そのご理解を伝えさして貰う、子供が少年少女部会にこの前からきよりますもん。
 他に子供達いくらもおりますけれども、やっぱ先生もう子供達は信心しなければおられません、帰ってきて母親にですね、もうその子供ながらも母親のそう言う事を、薄々知っておるもんですから、信心の話しを一生懸命、今日は先生はこげな話しをしなさったて話そうです。もうそれは良い子供でですね、ここに来てその、色々なゲームなんかやってますけど、そん発言もしきらん位に弱かですもんその息子は。
 ところがそん、もうそれがもうこの頃は元気もんになりましてすね、もう家でもうそのとっても朗らかになって、でこの頃はもうあの人が信心話しを聞きよると、家内がもう時々、日に何回かぐらいは大声上げて笑う様な雰囲気が生まれて参りました、ちゅうて昨日も、夫婦で来てここで話すわけですね。それでその、癌独特の症状というのがここ十日間ばっかり、全然ないそうです。
 これはまあ家内、昨日じゃない、その前の前の日ぐらいに来てから、その主人のお届けなんですけれどもね、そいでもう私はもう病院に行くまいて、そん奥さんが。昨日は日曜じゃから、子供達にお店しとりますから、早う起きてから店番ばしといてくれんの、ちょいとお母さん達は参ってくるけん、ちゅうて、ほかん親方やら姉やらたちは、折角日曜じゃけん、ゆっくり寝らにゃならんというとるけれども。
 そのここに来よります、小学校の何年生でしょうか、三年生か四年生ですもん、それがサーッと起きてから、ふなら早うお父さんとお母さん参ってこんの、僕が店番ばしとくけんでと言うて、今日は夫婦でお参りがでけましたと言うてその、おかげを頂いておる。これももうここ十四、五日でしょうか、毎日私はところもよく聞かんですけれども、北野のどっかの田舎の方じゃないでしょうか、秋山さんたちは知らんですか。
 橋本さん、毎日ここで会うでしょうが、千代島ですか。とにかくあの、ある教会の総代さんのお導きで参って来てるんです。もう大変難儀らしいんですね。自分も勤めに出ておられるらしい。それがその体が悪くて、勤めにも出られなくて、とにかく神経痛なんです。それがひどいですね、体全身の神経痛なんです。全然仕事が出来ない。始め参って来てから、もうほんとにその、主人には信心嫌いだそうですから。
 その定期を買うてもろうてから、針灸にずっと毎日通いなさるけれども、針灸をやめて、椛目に毎日参って来るわけなんです。それがそのご理解を頂くとが非常に楽しみ、ほいで自分でもう、繰り返し繰り返しそこへ座ってから、そのご理解を聞いて、毎日帰られるです。はじめの間は、先生、こうやってもう難儀をしとりますから、ほんとにあの、神様にお供えも出来ませんけれども。
 この神様はね、お供えとおかげは交換じゃない、お供えしなきゃおかげは頂かんちゅうことでもない。だからあんたがお参りして、気の毒んごとあるなら、お賽銭だけで参っておいでと例えば、言うて始めはそげなふうじゃったところが、この頃はもう毎日その、お初穂のお届けがあるんです。三、四日前には初めて少しばかりの、百姓をしておるのにですね、おかげで取り上げがでけたけれども全然、体にさわりがない。
 もう有難うしてたまらんもんじゃから、主人にそのことを、私は実はこうやって針灸に通いよるとじゃない、こうして椛目にお参りさして頂きよると、というてそのおかげを頂きよりますちゅうて。ああそうじゃったか、ち。そういやお前が大分この頃、もう大変変わったというて、ま主人が喜ばれたと。昨日朝のご祈念に参って来とりましたが、もう昨日は三時ごろから目が覚めて、朝のご祈念に初めてお参りさせて頂いた。
 というて、でそういうその難儀と言うてもです、おかげを頂けば、有難うなってくればです、おかげが頂けれると。昨日は久保山先生にお願いをして、昨日はちょうど日曜で美登里会を、その婦人部の方達の、ご祈念がございますですね、そのご祈念も頂いて、後にこれはあの僅かばかりでございますけれども、あのご祈念中がありよるとの、ご建築費にちゅうてから、そのまたお供えして行ってる。例えばその、有り難い勿体無いの中から出来ると言う事ですね。
 人間ていうのはどげん持っとたっちゃです、しらごつ言うてからでん、もうどんこんでけませんけん、難儀しよりますけんてから、そのそう言う時には、でけるこっちゃなかけども、心が有難うなって来たら出来る。昨日もそのお届けしとりましたがですね、昨日そげん言うちから、主人に話しましたら、はあそりけんじゃろうね、俺もおかげ頂よる、ちゅうて言われるそうです。
 昨日、ちょうどあの久留米の、まきやというあの肥料屋がある。ちょうど光橋先生とこのあそこの十字路らしい。ご主人は単車でこう行きよんなさるところが、横腹から、そのどんとその、自動車が突き当たる寸前で、そのま、止まってから、車をちょっと、ま、傷したくらいで、そのま、おかげを、ふが良かったわけです。したらそのお母さんの話しを聞いてから、おかげ頂いたじゃろ。
 そいがお前おらもうモヤモヤしてから、その運転手を引きずり出いちから、文句を言おうと思うちから行ったげな、なんと自分かたん息子じゃったげな、どっか勤めちある。ほいでもう、両方ながら良かったね、お父さん良かったねで帰って来たばってん、お前の話しを聞きよるとやっぱ、おかげ頂いとるとぞと、いうてその、主人が昨日言うてくれました、ちゅうて昨日、お届けがあっとりました。
 いかにそういうです、例えば私が申しましたような、そのそういう雰囲気が、おかげが頂けるかと言うことが分かるでしょう。もう厳しいなんが極寒の中にですね、霜の朝のような感じの信心じゃなくてです、もう何とはなしに、おかげを頂いておる話しを、もうほんとに家内と二人で、親子で、ね。また家族中で信心話しをさせて頂く、それはまあ信心話しかなんか分からんけれども。
 まだ少年少女部会に、ようやく通うて来ておる、その子供の話しの中からでもです、もうほんとに家内の顔見りゃ、こりがもうその、長くはもてない命と思うただけでも、家の中は暗くなっておったのが、ね。子供が言う、そのご飯食ぶる時には、お母さん、柏手打ってからこげんして頂かんならんよて言うとですね、もうにこにこ笑うぐらいなこっちゃない、声上げてこの頃、笑うような雰囲気にならして頂いて。
 夫婦でいわば、お参りが出来、御理解を頂かせていただけるような雰囲気が生まれてきて、ここ十日間あまりていうものは、その癌の症状全然本人は感じないと言う。自分は癌の症状と言うことは分からんけれども、聞かせてもらうと、も、はっきりこれが癌の症状だと言うことを病院から聞いて来とる、その症状がないわけです。なんちゅう有り難いことかと、こういうこと。ね、
 もほんとにイライラモヤモヤ、それこそもうとにかく、他に不足はないのだけれども、家のお爺ちゃんばかりは、どうしたその、というてもうその事だけが、もう頭ん中がもう気違いになるごとあるち、そのお婆さんが、ね。それでああでもないところに、迷うたり、走ったりして頂いてから、息子の話しを聞きながら、ほんにそうじゃったの、ああじゃったの、と言うてから。
 もう話しを聞いとるものも有り難いなら、話させて頂いとる自分も有り難う成らせて頂いて、夜の深けるのも忘れてるごとしてから、信心話しをさせて頂いたと言う、そういう雰囲気なんです。問題は、ね、それは昨日でも私、もう様々なお届けをさして頂きました。もうほんとに朝の、私、ある方が福岡行きのお届けをさせて頂きましたが、そん時に、あの、蟹のお知らせを頂きますもんね。
 横ばい?それが目がぱっとこう、蟹は目が飛び出すでしょうが、あんなとこを頂きますもん。あやこれはもう目が飛び出るごとあるびくっとする様な事があるとじゃろうかと、思うてからですね、もうそんな事そしたら電話が掛かって参りました。それがその単車を撥ねとる訳ですねその人が。ほいでまあおかげでちょっとした、まあ相手に傷がじゃったじゃろうけれども、電話が掛かって参りましてから、こんなこつじゃった。
 ほらやっぱ、目の飛び出る様なびっくりしたこつだけは、間違いなかけれども、まあ大した事なしにおかげ頂いた。で昨日はちょうど、久留米の光橋先生ところの孫が出来ました。ちょうど昨日が日晴れで、お礼参拝をして参りました。ちょうど私、二時頃でしたでしょうか。それから何時もの様に、お届けをさしてもろうてから、あの子供を抱いて、神様にお供えさせて頂いて。
 ほいからまたあの、とにかくお爺ちゃんにも一つお届けをしといてやろう、ちちから私又子供受け取ってから、もうその受け取ってから、御霊様の前に行く間にです、もうどうにもこうにも出来んごと感激するです。そして私思うんですね、はあ椛目の人達がおかげを頂くのは、こう言う様な信心からだな、と、私が思うんです。昨日も、夕べちょうど熊本からしょくたさん?達が、ちょうど夜のご祈念にお参りして来とりました。
 ですからご祈念が済んでから、もうそれこそもう、こっち当たりはその、もう早く休まにゃならんのだけれども、もう一生懸命そのお話しを聞かれるもんですから、久富先生が、昔の信心をその椛目のですね、ほんにあんな事もあった、こんな事もあったと話さして頂きながらそのほっと、久富先生が気付かっしゃった事があったわけですね。はあ親先生、私は今日今しょくださん達に昔の話しさせて頂きながらですたい。
 先生の信心の素晴らしさという事を、今あらためて気が付かせて頂いた。これからの共励会ににはもう、他の事は話しません、こりゃもう昔の皆さんが、知っちゃおろうけれども、こう言う様な時代があった、と言う事の話しだけで、こりゃこげんもおかげ頂くとですけんで、もうこりゃしょくださん、あんたんおかげで、私はおかげ頂いた、ちゅうて喜ばれるんですね。
 もうその雰囲気がもうなんとも、かんとも言えんその雰囲気になるもんですから、もう十一時が十一時半になっていくけれども、それこそ夜の深けるのも忘れてから、その昔の信心話しにま、耽らして頂いたことでございすがね。そんときもそう言うて話したことでしたけれど、そういう一つの雰囲気がですね、そういう雰囲気がおかげを頂く。ちょうど昨日、光橋先生のところの、あの、参って帰ってからでした。
 ちょっと二階に上がらして頂きましてから、もう最近は子供達に至るまでが、そのテレビを見ませんです、けども相撲のあるときだけは、父が大変楽しんでおりますし、好きでございますから、相撲だけを見せて頂きよるわけなんです。ちょうど私が二階に上がったところに、相撲が始まった。で私は相撲はあんまり、あの好きでもありませんし、ま始めから最後まで見たこともございませんけれども。
 昨日ばかりは、私が一番初めから最後まで見せて頂いたんですね。それが立たれんのです。というのがどう言う事かと言うとですね、昨日永瀬さんたちが夫婦で、招待券をいただいとるから、相撲ば見に行くと言ういお届けがあっとったんです。ですから、あのますの中にひょっとして、永瀬さんがおるかも知れんと言う気持ちもあるけれどもですね、永瀬さんがこの一つ一つの取り組みを家内とどういうふうに話しをして。
 どういうふうな気分で見ておるだうかと思うたら、見らにゃおられん、という気がしましたがね、私は昨日は。そして最後まで、結局見せて頂いたんですけれども。そしてから思うんですね、私がおかげを頂くと言うことは、神様と交流するだけではなくてです、そういう一つの情と言うかね、念と言うものがです、いつも皆さんと通うておると言うことです。昨日、矢次さんからお届けがあった。家移りさせて頂いてから、来月の三日に移転の報告の謝恩、宅祭りを仕えさせて頂きたい、ね、
 もうそのことでも昨日私がお届けを聞かせて頂いたから、そん時の事をもう楽しませて、・・先生宅祭りに行くと、ふがよかごと食べられる、ていう意味じゃないですよね。もう、それもあるかも知れませんですたいね、けれどもね、そん時の雰囲気を思うただけで有り難いです、私の心ん中は、ね、そしてさすがにっぱり長い信心を頂いておるおかげでですたい、こういういようなところが、椛目の人たちは分からんけれども。
 長年信心いただいておりゃ、出来ん中からでも、そうさせてもらわなければおられないと言うようなものが、でけていきよる。そん時にはまたあちら、家族中のものでですたい、また、こういうああした雰囲気もまた頂けるだろうと思うただけで、何か知らんけれども、何と言うでしょうかね、まあ、私はまだ孫を持ったことはなかけん、分からんけども、在所に孫抱きに行くときのことちゃこんなもんじゃなかろうか、というような気がするんです、私は。
 そういうようなですね、そういうような雰囲気の中に、椛目のおかげは生まれておるのであり、そういう雰囲気の中に、お互いの信心は、育てられておると言うことです。ね、最近は難しい御理解ばっかり頂いておりますけれども、昨日の久富先生の話しじゃないけども、お話しさせて頂きながら、はあ、ほんに、こういう素晴らしいお話が椛目にあったたい、と言うことをです、気付かせて頂いて、自分も感激しておられる。
 聞ておられるものも感激しておられる。そして、こりゃいろんな難しい話しだんじゃない、こういうお話しをしておれば、私も助かり、聞いておる者もおかげ頂くには違いない、これからは、ま、共励会に行っても、その昔の椛目の言うなら、古典ですたい、ね、あの時代に頂いておった御理解、あの時代に頂いておった、その中に、ほんとに椛目の、例えば親先生が、あの四年半という間です。
 もう一切どういうようなものでも、黙って受けますと言うてす、と言うてあの、受けられた、あの受けられておった状態と言うものを思い出した、ち。お話しながら、で、先生の場合には、それが一つも、またこの難儀を受けんならんと思うような、淡々として受け抜いてこられた、ということがです、何と言う素晴らしいことだろうか、これだけでも親先生がお徳を受けなさるはずだと言うことがです、もうそれこそ、こげんはっきり分かったことはなかった。
 ちゅうて、昨日、感激して久保山先生、あの久富先生が話しておられましす。ほんに言われてみりゃそうですもんね。あの私が、もう、どのようなことが起きてきてもどのようなことが流れ込んできても、それを受けるという生き方の信心でした。あん時は先生は検事局に呼ばれなさった。警察にも引っ張られなさった、ほんに様々なことがありましたという話しでございましたけれど。
 それをほんとに困ったとも、それに対してから、対抗なさろうともしなかった。もう淡々として、それこそ、流れてくる物をです、もうその、流れ来たった物が、流れ去っていくようにして、受け抜いてこられたあの四年半といいうものが、神様のお許しを頂かれて、あん時の御理解はああでした、というてあの、ほうれん草の御理解を、その覚えておられるでしょう、ね。
 私はなんでも一切を黙って頂きますという頂き方、ですからもうほうれん草の、もう捨てなければならないような黒いところでも、赤葉でも、もう泥のついとるごたあるところでも、ひげねでも、頂いてしまうという生き方だった。それを食べにくいとも、頂きにくいともいわずに受けてきたという、確かにそういう事実があったということですもんね。ほんとにもう棒にも橋にもかからんごたある病人。
 もう親も子も兄弟も、みんな見離す様な病人、それが、もうほんとにここに集まってきた時代のことを、昨日話しておられましたが、私自身もあらためて、その時分のことを思わしてもろうたんですけれどね。それがひとっつも、なら、このなんか修行だから受けんならんといったもんじゃかったということです。もう淡々として受け抜いて来たということです。ここに椛目の信心。
 おかげの頂ける土台はでけたと、いうても過言じゃないというふうに、昨日は久富先生が話しておられましたがね、ほんに私、聞きながらそれを思うたんです。ね、どうでも一つそういう中から、椛目の信心が生まれ、そして、椛目的信心の情操といったようなものがです、お互いの中にも段々培われ、最近参って来る方達の上にもです、そうした信心の雰囲気が、ね。
 主人との中に、子供達の中にね、ね、姑との中にそういう雰囲気の中に、今まで体の上に不調であった体がです、ね、もう不治の病と思われるような癌のような病気がです、ね。やはりおかげを頂いていきよると、そういう状態の中に、おかげが頂けるものだということをです、改めて、一つ分からしてもろうて、難しいこともわかっていかなければならんけれども、はたしてお互いの心の中に、家庭の中に、そういう雰囲気がです、いよいよ育っていきよるかどうか、ということを思うてみなければならない。
 そしてです、ほんとにしみじみとして今日一日が、おかげを頂かせてもらい、しみじみとして今日一日のおかげ話しをです、家族のものが寄り合うて、ほんとにおかげ頂いて有り難い、しかも夜の深けるのも忘るようにして、秋の夜長を信心の話しにふけらして頂けるような雰囲気、ね、そこから、明日もまたおかげの頂けれる原動力を頂いて行く、というようなおかげを頂いていきたいもんだと思うのでございます。
   どうぞ。